DJ OZMAの「あの」ボディースーツがなにを意味するのか

いまさら紅白でのDJ OZMAの"例の"パフォーマンスについてひとりでこっそり考察してみたりする。リアルタイムで実家の茶の間で見てましたが、実はあれで初めてDJ OZMAを知ったです。で、あたしが気にしてるのはどう見ても裸にしか見えない「あのボディースーツ」の存在の意味するものは何かって点であり、決してあのパフォーマンス自体の是非ではアリマセン。「あり」か「なし」かで言えば普通に「あり」だと思うですよ?確かにびっくりしたけどな!
問題は、あのボディースーツと「本当の裸」の差異ってなんなわけ?てことだと思うわけです。本当の裸だったらダメで、ボディースーツを着てたらOKになるのはなんでなんかと。もっとも、リハーサルでは水着脱がなかったみたいだけど。おそらく本当に脱いでいれば今頃もっと大問題になっていたのは簡単に予想つくわけです、「ゴメンナサイ」じゃすまないことは。ボディースーツ1枚でモラルの枷を振り切ることができている状態なわけですね、「裸にしか見えないかも知れないけど一応何か着てる」ってことに意味があるらしい。「意識に訴えかけるものとしての表現」という視点から見るとすごい興味深い。が、あー、うまく説明できないや、あたしが気になってること。またなんか考えがまとまったら書くかも?